ClaudeとともにClojureのコードを自分で書く
2026-08-11
自分でClojureのコードを書いている。
書くのがとても遅い。
それはまあ当たり前で、標準ライブラリの関数名すら頭に入ってなくて調べながら書くし、意図に沿ったイディオムが無いか調べるし、ほんとコード書くのって調べる時間の方が多いくらいだったな、と思い出す。
それでも自分の手でわざわざ書くことを何で今さらやっているのかと言われても、「プログラミング言語の思想をはしばしに感じながら動くものを作ることがやっぱり楽しそうに思ったから」ということでしかない。 別に欲しい機能を使えるようにしたい、希望を実現したいなら全然Claudeにコードを書いてリリースしてしまえばいいのだ。 そこがゴールなのではなくて、思想を感じながらコードを書き、振り返ってより思想に沿ったスタイルがなかった見直す、とかそういうプログラミングの過程で得られる感覚を渇望しているのだ。
そしてこの過程はClaudeのお供をつけることでさらに楽しくなった。 自分の理解を確かめることができる。 レビューをしてもらい気づかなかった欠陥を指摘してもらえる。 でもコードは書いてほしくない、自分が書くから。
数学書を読んでいる時にも感じたことではあるがAIは学習ツールとして本当に優秀だと思う。 特に自分が詳しくない領域に踏み込んでいくにあたり、根気強い対話相手としてこれ以上ない専属コーチになってくれる。
思うところ
AIによって大量のアウトプットが凄まじいスピードで作り出せるようになった。 自分が学ばなくてもアウトプットが出るようになってしまった。
この状況下において自分は学習のためにAIをお供にしているけど、その意味はあるのだろうか。 学習したところでAIのアウトプット量を超えられるわけではない。 ないのに学んでどこを目指すのだろう、というモヤつきはある。
根源的に学ぶのが楽しいからやる以上のことはないのだけれど、やはりそこに正当性を求めてしまうのだった。